様々な有田焼

元々、佐賀と長崎の県境で約400年もの間、焼き物を作り続けています。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に連れてこられた陶工たちは
江戸時代の初期に磁器を作り出します。
その時は佐賀・長崎を肥前と呼んでいました。

肥前の国には藩がいくつもあり、鍋島藩・大村藩・平戸藩が
今の佐賀・長崎の県境に位置していました。
幕の頭山頂に立つ「三領石(さんりょうせき)」は三つの藩の領土を意味し、
薪窯の時代は互いに領地を侵して薪を盗んでくることも日常的で
激しい争奪がおこなわれました。
大村藩は現在の波佐見焼、平戸藩は現在の三川内焼、そして鍋島藩は有田焼です。

この当時は現在の市町村とは異なり、鍋島藩であったため、有田焼に関しては
有田の現在の赤絵町を中心とした内山、その周りを外山、
さらに周りを大外山と呼んでいました。
吉田焼はこの有田大外山に位置しているのです。

ひとえに有田焼といっても赤絵町、南川原、外尾山、黒牟田、応法、うーたん、など
沢山の小さな地域があり、吉田山もその1つです。
つまり、鍋島藩の地域で作られている焼き物は
有田焼として広く親しまれてきたということです。

有田焼 辻与製陶所イメージ

有田焼 辻与製陶所イメージ